バタバタだった年末年始

令和1年の年末は

娘と孫がきた

七五三 7歳のお祝いと記念写真

次はTDL

予定では雪体験・・・・・これは雪がないということでなし

仕方ないので ランドマークでと思ったら強風で中止

代わりにセンター南の遊び場で一日

 

令和2年の歳初め

一日歩いて近所の神社にお参り

二日は89歳の父の誕生会

三日は私の長男が来てわいわい

四日娘と孫はメキシコへ出発

ドジです

水曜日のことです。整形の受診とリハビリに7時半前のバスに乗るため出たのですが、

すぐに、あれ?見えずらい   メガネを遠近に交換するのを忘れて出かけてしまった

急いで家に戻り、メガネ交換

バス停に着く前に  アッ  薬を飲み忘れた  遅刻する。。。ということで諦めました。

 

病院に着くと 予約外なのでリハビリまでに終わるかな?

と思っていたら、リハビリの先生が9時台の人が来ないから、先に行おう

その前にリハビリ前の血圧測定  180/110 高い  ということで先生の受診が先になり、

診察室へ 高いね でも大丈夫  頑張って

ということでリハビリいつもより長め  

終わって 起き上がったら あちゃー ズボン大きな穴

 

ドジ3連 ほかにもあったのですが もう恥ずかしいので省略

 

悲しいです

首里城がもえてしまいました。

難病になって、心が落ち込んだ時、私は時間を作っては沖縄に行きました。

そして必ず最後に首里城に行って、「元気にしてくれてありがとう」

と感謝の気持ちを持って見学をしていました。

 

末娘が高校入学前の卒業記念という名目でいったのが最後なので、15年もたっています。

 そのあとちょっとどうしても沖縄に行く心になれなかったのですが、首里城が燃えてその映像を見た時、心のぽっかりと穴が空いてしまった気がしました。

 

私にとって大嫌いと思っていた赤が生きるための元気を作ってくれていた赤と教えてくれた首里城の赤 

 

一日も復元されることを祈るばかりです

今週のお題「理想の老後」

今は理想の老後はまったく考えられません。

でも 結婚して離婚するまで、私には一応ありました。

仕事もしていなかった。家事も育児も全く協力しないそんな夫でした。

離婚する前には仕事、自分は役を持っているからといって、毎週金曜日の地元の会合に帰ってくる以外家にいなくなっていたので、おかしいとは感じていましたが、

孫の生れてその世話も加わり、夫のことは自立と思って無視。

それに 私が何かを言うと「お前は最低だ。腹が立つ。」といって暴力をふるうので、「おはようございます」「食事の用意できました。」その言葉以外話さないように、こわごわの生活を送るようになっていました。

東京に今から行くというので、病院があるから、途中の駅でいいから乗せてほしいとお願いをすると、

俺の車にお前は乗せたくない。タバコは吸うな、というからなといわれ、骨折した足で高速バス乗り場まで息子に贈ってもらって通院をしたものです。

 それでも、老後になったら夫変わって、一緒に国内海外旅行にのんびり行きたい。手をつないで歩きたいと思っていました。

ところが、不倫相手がいて、その家族の面倒、さらに子ども、関係ない他人の子供の大学の世話をしていたことが、全く無関係な行動から発覚して、私にはもうこの人との夢はないと思ったのです。

 今は毎日病気との闘い。そして高齢の両親の介護。の日々です。

今願うのは、自分がとにかく倒れないこと。それだけです。

今週のお題「理想の老後」

今となっては夢のまた夢ですが、結婚したとき 老後は夫婦で手を取って、買い物に一緒に行き、日本だけでなく旅行をしていろんなものを食べてと思っていました。

 そのために、結婚直後から夫の父の介護、そしてなくなった後から始まった夫の母の認知症の介護。4人の子供の子育て、住込み従業員の衣食住の世話。夫が勝手に受けてくる交換留学生の世話。

 自分の体を酷使して仕事をしない夫に代わって、畜産の仕事。

 そして、倒れ夫の母の介護もできなくなり、今度は難病との戦い。

 何かいもの入退院、子供の不登校に自殺未遂。

内科の医者から次の下痢が起きたら腸が破裂して死にますといわれ、

眼科の医者からは、あと4回眼発作が起きたら失明

神経内科の医者からは、神経発作が多発したら、自分が自分でいなくなります。

 そんなこと言われても子どもが大事で乗り越え、その子のそばでただ見守りたくて一緒に大学受験。一緒に学生をして、卒業したら夫から言われた言葉が

「不倫相手とその家族をお前が養え。そのために大学に行かせた」

 離婚裁判  今は理想の老後が全く見えない。

あまり布でまた作りました

最近体調が変です。

上から行くと 口の中に水疱できて、食べるのがとてもつらくなりました。

病院に行くと 水疱症が悪化したということで 薬がふやされました。

左手の動きが変なのを我慢していたら 小指と薬指がしびれはじめ

ものがつかめないまったく動かなくなりました。

手の整形の先生から「あなたはいちいち体のことばかり気にしているから、それより

楽しいこと、したいことをして我慢しなさい。」といわれていたので

放置していたのですが、杖を突くのができなくなり、ちょっと困ったので、

足の整形の先生に話した「すぐ神経内科にかかりなさい」

といわれ神経内科にかかったところ「なんでこんなに動かなくなってきた?」

と 体は色色やってくれています。

でも、手の整形の先生の言葉を信じて 好きなこと

ということであまり布でこんなものを作りました

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ベストとひらひら上着