どっちが幸せ?

私は結婚して35年一度も家族旅行を経験することなく離婚しました。

妹夫婦は結婚して春夏秋冬と必ず家族旅行を経験して今年で結婚35年を迎えます。

その妹に毎回家族旅行に行く前と言った後に必ず言われる言葉があります。

お姉ちゃんは幸せよ 家族旅行なんて、行く前も言った後も大変。

 

ちなみに夫は不倫相手とは毎週のように日本だけでなく不倫相手の住む中国にも旅行。

そして不倫相手と相手との間の子供親族を連れて旅行に行っていた記念写真もあります。

 

私の夢は家族旅行に行くことでした。 元夫は家族旅行は暇人のすることでお前のように家の仕事をして、家事をして、子育てをしている人間には暇がない。

俺も仕事で休む間もない

 

この言葉を信じていた私は超ーーーバカでした。

記憶に残っているあの日 とは、元夫と不倫相手の愛の巣のマンションに合いかぎを子供から借りて入り、元夫が丁寧に作ってくれていたアルバムから 別の家族を作って家族旅行に行っていた写真を見つけた日でした。

今週のお題】握ったり、回ったり

今週のお題「寿司」

まずすみませんから始めます。

このお題を見て、内容を確かめなかったら、私は今日のリハビリのタオル体操を書くつもりでした。

ということで得意のうっかりは誤ったので、真面目にお寿司についてです。

 

さてさて離婚前の我が家では懐が寂しくなると、寿司にしました。

題の握ったり回したりするものではなく、

大きな寿司だるに作る野原から食材を採ってきたものを使ったチラシ寿司でした。

でも、地元には飾り寿司と言って、お祝い事では「寿」、「祝」「喜」という文字で巻きずしを作ります。

私はとてもできないので、せいぜい梅の花とか チューリップとかちょうちょ くらいでした。これがまわったりの寿司。

握りは作る人は私一人になるのですが。

漁港が近くなので 春はカツオをあぶったり、醤油漬けにしたもの、フライにしたもの

など食べる人を飽きさせないように、自宅で採れたタケノコと交換した魚をいろんな形や味を変えて、酢飯で作りました。

イワシ いか タコ もちろん養鶏場なので卵はたくさん焼いて寿司に入れます。

私自身食べることも 作ることも大好き、 それ以上に 人においしい楽しいと喜んでもらうことがもっと好きなので、作るときは家族7人に 子供の友達が6人従業員分まで作り出すので、 寿司は大体30人前くらい作って楽しみました。

 

離婚した今ですか?両親は食が細い。娘は生魚アレルギーがあるので、孫とちびちびなので、作るのはスーパーで買った来る寿司用のものも一人前だけなので、つまらないです。  

「住みたい場所」

今週のお題「住みたい場所」

住みたい場所ですよね。

生まれたところは川崎のにぎやかな場所

1歳で名前は横浜でも当時はド田舎

生まれて一間の部屋で暮らしていたから

台所とお風呂を入れると5つの部屋があるこの家は

当時の私にはとてつもなく広い家に見えて、母が少しでも見えないと騒いだそうです。

小学生6年で大阪に移り、言葉の壁と生活の違いで苦しんだけれど、それなりに楽しんだ。

結婚して、本当の過疎地で夫と義母からのいじめで孤独の生活を送るようになっていたけれど、子育てと仕事と住み込みを義父の介護で、いちいちいじめで止まっている時間も余裕もなかった。

それ以上に田舎の生活は面白かった。

例えば春になると庭にタケノコが生える。まず家でタケノコ料理を楽しむ。

タケノコといえば 春ガツオであるので、ママさんバレーの友達で漁師の家にタケノコとおすそ分けすると、帰りにカツオがお返しで来る。

夕飯はタケノコにカツオと豪華なものになる。

 

夏は銚子、八街からスイカ農家が無料たい肥と取りに来るときに規格がいのスイカを持ってくるから、スイカも事欠かない。野菜もたい肥との交換で得たので不自由はなかった。

北海道に住んだときは寒さは厳しいが、でも外にずっといるわけでないので、アパートの真ん中の部屋に住むと上下左右で挟まれるおかげで、燃料費はほとんどかからないで住める。水道代は使い放題でおいしい。

食費も安くておいしいのがうれしかった。

 

住みたい場所はどこでもいいと言いたい。

でも今の私は車いすで酸素がないと生きていけない。

ということで住みたい場所は自動的に

病院の近くになってしまった。

情けない。

原始的生活 またやってみたいです

困った質問

今私は、8日意識がなくなり入院。

原因不明で呼吸数が下がり、おまけでいつもの左足に加え左手も動きません。

 

今朝検温、血圧、血中酸素の測定に来た時

「先生からの指示で、今までは車いすでトイレに行ってましたが、歩いて行ってもいいそうです。何歩歩けますか?」

『0』

「聞こえなかったの❓何歩あるけますか?」

『だから0歩です』

「理解できないの?私たちが手伝えば歩けますか?ときいているの。

先生がリハビリで歩行しているからと書いてあるから聞いているの」

『リハビリでも一歩も歩けません。』

 

「わかった。じゃ今まで通り車いすがいいのね」

 

と怒って行かれました。

誰と間違えたのかしら?

 

先生も歩けないデビ退院だから、家用車いすを用意するよう家族に伝えたといったのにです。

 

歩けるなら歩きたい。そして孫と走りたい。一人でマラソンしたい。

いつかはホノルルマラソンに行きたい

でも現実は片足なら10秒できますが、両足になると5秒として立っていられない。

この質問はいじめ

それとも叱咤激励?

 

今週のお題「やる気が出ない」

今週のお題「やる気が出ない」

 

この前母の助けてでしたが、

その母が入院して、医者と相談した結果

リハビリ病院に移り少しでも歩けるようになったら

自宅での介護に切り替えましょう。

移る当日病院の駐車場に着いた瞬間医者から電話が入り

下血したので、内科から外科に移ります。

医者から手術は体力がないからできない。

自然治癒しかないといわれ

少しでもよくなったら自宅介護に変更しました。

自宅介護をするためおむつ交換、食事の介助練習に通うことになり、

1回目は看護師の方法を学ぶ

2回目

その時医者から病院から家まで移動途中で亡くなる可能性が大と言われたのです。

でも、ということで栄養指導を受けていた時

私の視界に変なものが増え見えなくなってきたのです。

あくびをして何とかしたのですが、

知らないうちにベッドの上

呼吸ができなくなり、血圧もいつも180くらいあるのが

70に下がり意識を失ったそうです

でも、難病を持つ私にはいくら見ましょうと言われても

最後はわからない大学病院に行ってになるのがわかっていたので

家に戻ったのです。

家にたどり着いたが意識は薄れ、結局救急車を娘が呼んでくれ

大学病院に運ばれたのが15時

それから検査検査で結局原因はつかめないが入院となり、病室に運ばれたのが翌日の3時過ぎ

 

付き添ってくれた妹と娘は家に着くなり、今度は母の危篤の連絡を受けたそうです。

その時は持ち直したのですが、翌日の朝、連絡をもらい駆けつける前に母は大好きな父のもとに一人で旅立ったそうです。

 

私は連絡を受けても、行きたくても何もできません。

すべて妹に任せベッドの上で体中モニターを付けられいるだけ。

 

そんな私ですが

入院してもう2週間たつのですが

いまだに医者から何が原因で入院しているのか説明がありません。

毎日点滴を受けるだけ、

今回も意識を失ったことで左側が動きません。

リハビリ頑張れといわれても、

去年手術した右足でケンケンでいいからと

?滑って転んだり、バランス崩して骨折?最悪は再発で全く歩けなくなることは?

 

こんなリハビリも治療も意味あるの?

ということで

だんだんやる気なくしてきています。

動けない、といれにもいけない、風呂も入れない。

料理も作れない

やる気が出ない

情けない私 

でもでも、帰りたい

母が着替えるためストーブの前にペタンと座って、着替えを始めたが、そのあと

「立てない」 と言った。

亡くなった父が、なくなる数か月前から、ベッドに寝て、起きるとき滑り落ちて途中で、

「立てない」「助けて」と叫び。

母が「お姉ちゃんお父さんが」

と階段から叫び、私が毎日のように助けに向かった。

ただ変な形でベッドで滑りそうなときは、足を持ちベッドにしっかり上げて、次に背中を持ち上げて普通に立たせる。下に落ちているときは、低い椅子をお尻の下に滑らせて、その上に座らせ、次に普通の高さの椅子に移らせる。 私も腰の骨が折れているので、腕の力のみで起こすから結構苦しかったです。

 

でも母の場合は骨がボロボロとても怖かったです。でも椅子からも立ち上がれなくなり、食欲が落ちすぎたので、入院となったのですが、

父と違いすでに体中がボロボロになっていたのです。

肺も心臓も、腎臓も腸もなのです。

家に帰りたいという願いをかなえるため、連休明けに家で介護をすることにしました。

 

今度はどんなことが起きても、家で母を妹と二人で

そして、笑顔と優しい言葉で父の時のように過ごしてもらえるよう。

頑張ります。

父は家に帰るはずが施設で急変し、病院で亡くなったことが、私にはとても悔やまれます。

「90の誕生日は家でするのだから、しっかりリハビリしてね。」

『90?そんな年寄りになりたくない。』

これが私がした最後の会話でした。まさか本当に21日前に亡くなるとは思っていませんでした。

母の誕生日は7月8日 米寿です。

おいしいものを毎日作るからね。

お母さん