悲しいです

首里城がもえてしまいました。

難病になって、心が落ち込んだ時、私は時間を作っては沖縄に行きました。

そして必ず最後に首里城に行って、「元気にしてくれてありがとう」

と感謝の気持ちを持って見学をしていました。

 

末娘が高校入学前の卒業記念という名目でいったのが最後なので、15年もたっています。

 そのあとちょっとどうしても沖縄に行く心になれなかったのですが、首里城が燃えてその映像を見た時、心のぽっかりと穴が空いてしまった気がしました。

 

私にとって大嫌いと思っていた赤が生きるための元気を作ってくれていた赤と教えてくれた首里城の赤 

 

一日も復元されることを祈るばかりです

今週のお題「理想の老後」

今は理想の老後はまったく考えられません。

でも 結婚して離婚するまで、私には一応ありました。

仕事もしていなかった。家事も育児も全く協力しないそんな夫でした。

離婚する前には仕事、自分は役を持っているからといって、毎週金曜日の地元の会合に帰ってくる以外家にいなくなっていたので、おかしいとは感じていましたが、

孫の生れてその世話も加わり、夫のことは自立と思って無視。

それに 私が何かを言うと「お前は最低だ。腹が立つ。」といって暴力をふるうので、「おはようございます」「食事の用意できました。」その言葉以外話さないように、こわごわの生活を送るようになっていました。

東京に今から行くというので、病院があるから、途中の駅でいいから乗せてほしいとお願いをすると、

俺の車にお前は乗せたくない。タバコは吸うな、というからなといわれ、骨折した足で高速バス乗り場まで息子に贈ってもらって通院をしたものです。

 それでも、老後になったら夫変わって、一緒に国内海外旅行にのんびり行きたい。手をつないで歩きたいと思っていました。

ところが、不倫相手がいて、その家族の面倒、さらに子ども、関係ない他人の子供の大学の世話をしていたことが、全く無関係な行動から発覚して、私にはもうこの人との夢はないと思ったのです。

 今は毎日病気との闘い。そして高齢の両親の介護。の日々です。

今願うのは、自分がとにかく倒れないこと。それだけです。

今週のお題「理想の老後」

今となっては夢のまた夢ですが、結婚したとき 老後は夫婦で手を取って、買い物に一緒に行き、日本だけでなく旅行をしていろんなものを食べてと思っていました。

 そのために、結婚直後から夫の父の介護、そしてなくなった後から始まった夫の母の認知症の介護。4人の子供の子育て、住込み従業員の衣食住の世話。夫が勝手に受けてくる交換留学生の世話。

 自分の体を酷使して仕事をしない夫に代わって、畜産の仕事。

 そして、倒れ夫の母の介護もできなくなり、今度は難病との戦い。

 何かいもの入退院、子供の不登校に自殺未遂。

内科の医者から次の下痢が起きたら腸が破裂して死にますといわれ、

眼科の医者からは、あと4回眼発作が起きたら失明

神経内科の医者からは、神経発作が多発したら、自分が自分でいなくなります。

 そんなこと言われても子どもが大事で乗り越え、その子のそばでただ見守りたくて一緒に大学受験。一緒に学生をして、卒業したら夫から言われた言葉が

「不倫相手とその家族をお前が養え。そのために大学に行かせた」

 離婚裁判  今は理想の老後が全く見えない。

あまり布でまた作りました

最近体調が変です。

上から行くと 口の中に水疱できて、食べるのがとてもつらくなりました。

病院に行くと 水疱症が悪化したということで 薬がふやされました。

左手の動きが変なのを我慢していたら 小指と薬指がしびれはじめ

ものがつかめないまったく動かなくなりました。

手の整形の先生から「あなたはいちいち体のことばかり気にしているから、それより

楽しいこと、したいことをして我慢しなさい。」といわれていたので

放置していたのですが、杖を突くのができなくなり、ちょっと困ったので、

足の整形の先生に話した「すぐ神経内科にかかりなさい」

といわれ神経内科にかかったところ「なんでこんなに動かなくなってきた?」

と 体は色色やってくれています。

でも、手の整形の先生の言葉を信じて 好きなこと

ということであまり布でこんなものを作りました

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ベストとひらひら上着

 

私の好きな色

今週のお題「わたしの好きな色」ちょっと考えました。私は色彩心理士でありアートセラピーの講師をしているからです。

 

でも単純に参加します。

好きな色は白 苦手な色は黒 

と今迄は答えていたのですが、ふと自分の最近の服の色を見たら

緑 青が多いのに驚きました。

さてさて なぜだろう ということで自分自身の心の変化があったのに気が付かなかった。

ということで今週のお題で自分自身の色の読み解きをしないといけないことに気が付かせていただけました。

今週のお題「おとうさん」

子どものころお父さんは外人かと思われているくらい、鼻が高くて、目が大きくてそして優しくてでも運動はからっきしダメですが、素敵な父でした。

 でも、私が離婚を決め家を出て、裁判が始まるころから???ということが増えてしまいました。

最近はお父さんが確実にわかっている人は、母だけみたいです。離婚して居候している私も毎日来てくれる妹も知っている人みたいです。

認知になって最初のころの口癖は 違う違うでした。あっていても違う違う

最近は そうなんだ そうなんだ 逆の言葉が口癖になっています。

父は食べなくても言いも口癖

でも、姑は毎日何も食べていないが口癖でした。徘徊をして、散々いじめた私が認知になったら,くっつき虫になって、大好きであった夫は 怖い人になりました。

私もかなり記憶力がなくなってきていると思います。せっかく50歳になって理系の大学に行ったのに、苦労して実験の鬼といわれ、同期の友や後輩から言ってもらったのに、卒業して、すぐから離婚裁判となり、今は昔のノートを見てもやったことは覚えていても中身が全く消えていて情けないです。

そして体もガタガタ 

お父さん今まで家族を守ってくれてありがとう。

これからもたくさんおいしいもの 今まで食べたことないものを介護食に変えてたくさん作ってあげるから、長生きしてね。

お願いです。しっかり食べてね