母が着替えるためストーブの前にペタンと座って、着替えを始めたが、そのあと

「立てない」 と言った。

亡くなった父が、なくなる数か月前から、ベッドに寝て、起きるとき滑り落ちて途中で、

「立てない」「助けて」と叫び。

母が「お姉ちゃんお父さんが」

と階段から叫び、私が毎日のように助けに向かった。

ただ変な形でベッドで滑りそうなときは、足を持ちベッドにしっかり上げて、次に背中を持ち上げて普通に立たせる。下に落ちているときは、低い椅子をお尻の下に滑らせて、その上に座らせ、次に普通の高さの椅子に移らせる。 私も腰の骨が折れているので、腕の力のみで起こすから結構苦しかったです。

 

でも母の場合は骨がボロボロとても怖かったです。でも椅子からも立ち上がれなくなり、食欲が落ちすぎたので、入院となったのですが、

父と違いすでに体中がボロボロになっていたのです。

肺も心臓も、腎臓も腸もなのです。

家に帰りたいという願いをかなえるため、連休明けに家で介護をすることにしました。

 

今度はどんなことが起きても、家で母を妹と二人で

そして、笑顔と優しい言葉で父の時のように過ごしてもらえるよう。

頑張ります。

父は家に帰るはずが施設で急変し、病院で亡くなったことが、私にはとても悔やまれます。

「90の誕生日は家でするのだから、しっかりリハビリしてね。」

『90?そんな年寄りになりたくない。』

これが私がした最後の会話でした。まさか本当に21日前に亡くなるとは思っていませんでした。

母の誕生日は7月8日 米寿です。

おいしいものを毎日作るからね。

お母さん

 

今週のお題「間取り」

今週のお題「間取り」

今週のお題はとても難しい。でもよくよく考えたら変な間取りというのは、私が住んでいた。そして今現在住んでいる家そのものと思えました。

 

今住んでいる実家は最後にかきまから

小学校6年の終わりに大阪に父の転勤で引っ越した家は、遠目から見ると、まるでアパート。台所が隣りと向かい合ってあるので、隣の家の今日の料理がわかる。また台所から出るときは必ず戸を叩き返事がないことを確かめて開けないと、出られる隙間が確保できない。一度台所にいると、ぼこぼこ音がするので母に伝えると、「お風呂が煮立っている。」慌てて隣の玄関の戸を叩くと、酔っ払って玄関で寝ていた御主人がいて、

「アッ お風呂に水を入れて、沸かすスイッチ入れたのは覚えているけれど、忘れて寝てしまった。」

と慌ててお風呂に向かったら、危うく空炊きで火事になるところで怖かったことを思い出しました。

結婚して千葉に住ん舅がいる間は、舅と新米大工が造った家なので、春になると床がタケノコによって床が持ち上がりやたらとすーすーすると思ったら、床が抜けていたということが毎年起きました。

子供が増えて増築したら、もっとおかしな家。家の中に一段低い廊下そして4段の階段があり、さらに二階に行く階段があるという変な家。でした。

50歳で大学受験して、末娘と大学の近くに下宿した時は、風呂場のところに洗濯機を置くところがあるのに、水道と排水ができない。洗濯機は台所に冷蔵庫と並んで置くしかなく、おかげでふろ水を洗濯に使うには、毎日娘とバケツリレーしました。

3年で北海道に編入したのですが、そこのアパートのオーナーから、広い部屋には家具は置いてはダメ、日が差すから、床に当たらないようにすることと言われました。でもそのおかげで、12畳の部屋は何にもないすっきりとした部屋となったのでした。

 

さてさて最後が今いる家、両親のこだわりというのか母のこだわりというのが正確なのですが、なぜか二階に台所があります。これは妹夫婦と同居を勝手に決めて作ったそうです。でもガスが通っていないので使えません。台所のシステムは母の身長が150ないのに、170㎝の人用の高さで作られています。

そして母の口癖が 揚げ物は汚れるから作るな。築65年。確かに増築して新しく台所はなりましたが、すでに35年もなっている家となった今でも言います。

おととし下水の検査に来た人が、台所のパイプからの水の流れを見て、65年たっているのにきれいとおどろかれました。 ほかの家は家を建て直して数年でも、パイプが詰まりそうだったと言ってましたので、母の揚げ物はするな。は家を大切にするには必要なのだその時思いました。

 でも父がなくなり、相続で銀行から言われた言葉が家の価値はゼロ。屋根も直し外壁も直してまだ半年もたっていないのにです。

 ということで、私は便利な間取りの家に住んだことがないけれど、変な間取りの家にはたくさん住みました。 

 

千葉の家は、穴が開くと私がそこに骸骨マークを付けて危険と書けたので楽しかったです。ふすまの張替えと言って、自由に絵を描いたし。お客に丸見えになるので、自宅の窓に季節ごとにイラストを描いて楽しめました。

これってもしかしたら、便利な間取りだったのかもしれませんね。

 

 

今週のお題「祝日なのに……」

今週のお題「祝日なのに……

私にとって祝日は 結婚して離婚するまではゼロ。

正確に書くと、夫は週休6日 働くのは1日。

私は365日熱があろうと、大けがをしてもなし

出産しても陣痛が始まり、子宮口が5センチに開くまで、仕事して

退院したその日から仕事、家事。

休みは高熱を出して、意識を失ったときを

夫から殴られ意識を失っている間

難病で入院している間

でも入院しているときも夫は病室に帳簿を持ち込み、動けない私に「次に来るまでにやっておけ」のメモを残して帰ったので、肉体労働はないけれど、事務的仕事は休みなかったです。

 

s毎日祝日、と言いたいのですが、

結婚直後から始まった夫の両親の介護ですが、

離婚して実家の両親の家に居候してからは、自分の両親の介護が始まり、

結局は自分が入院している間以外は休みなし。

夜中も起きることも同じ

 

休みの過ごし方 知らなので、祝日があってもなくても、私にはない。

祝日過ごし方はわからないと書けば簡単なのに、だらだらと説明した私、

きっと祝日に憧れがあるのかもしれないです。

今週のお題「〇〇からの卒業」

今週のお題「〇〇からの卒業」

最近私の身近で起こった卒業は 父の死でした。

父は生前90歳?そんな年寄りにはなりたくないと言っていたのですが、それは冗談と思っていたら、本当に21日前に3日入院しただけで旅立ってしまいました。

 

私自身の卒業は 6年生の3学期に転校したため思い出が少ししかない小学校の卒業式。

中学三年同じ学校だったけれど、一クラス50人の15クラスのマンモスでしたが50年付き合っている友と先輩がいた卒業式。

高校、短大もぶつぶつ、だけど、短大の時の友と先輩は、めったに会わないのに、電話するとすぐ私と分かってくれる。

 

それなのに それなのに 結婚生活35年。最高裁まで戦った夫は、離婚が成立してどうしても電話をしなければいけないことがあり、掛けたら「どちら様?」と言われた。

唖然

一番体力気力、お金がかかった卒業が離婚かも。

でも私が一番したい卒業は 難病との卒業。

 リウマチ内科の先生が血液結果を見て、内科ではステロイドは必要と考えられないので、出しません。

痛み止めは整形。おなかのために便秘薬も必要ないとすべてなくなった

 

でも、他の科に行ったら、腸がこのままだと破裂するといわれ、便秘薬が出され、今は激しい痛みだけは緩和された。

 

昨日まで9㎎飲んでいたステロイド、今までの主治医は減量するときは0.5㎎ずつしかも何か月もかけて行ったけれど、今回は3㎎いっぺんに減量。ステロイドを長期に飲んでいて、前に主治医から勝手に減らすな。命にかかわるからと言われていたので、とても怖いけれど、今回代わった主治医の治療法と処方指示がそうなので、医者のなんでもないという言葉を信じ 病気との卒業するため前に進みます。

 

早く難病と卒業したいです。

 

 

 

久しぶりに作品を並べてみます

趣味の手芸

というとすごくうまくてと思われるけれど、

母が洋裁の先生でも習ったことはなし、

 

自己流で 本を見ながら試行錯誤して孫の服つくりを家にあるあまり布で作っています。

孫が小さいころは、ボタンなし、チャックなしだったのですが、

最近は両方が解禁になったので

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ペアのお出かけ着とカバン

また作るものも簡単な袋やリュックではなくちょっと凝ったものにしています。

自分が使いやすく軽いという点は変更なし

 

今週のお題「雛祭り」

今週のお題「雛祭り」

3月3日はひな祭りというより自分にとっては、5歳違いの

妹の誕生日です。

妹は生まれたときから誰が見てもお人形のように目が大きくてとてもかわいい子でした。

私はなんというのか、みんな妹はかわいくて美人あなたはとても愛嬌があって、いつもニコニコと いう感じでいってもらってました。

まぁ母に似て目が小さく 鼻は低く。下唇は父に似て厚く。

似顔絵を描くときとても簡単 丸に点々のお目目しかも常に笑っているからちいさな三日月 次に小さい〇を真ん中そして、口はウインナー2つ並べると出来上がり。

それを考えると妹は美人に描かなければいけないので大変だと思います。

 

さてこの一年どんな思いを抱いていましたか?ですが、

ちょうど去年の今頃大学の先輩がなくなり、その後は自分が動けなくなり、入院。コロナ騒ぎが大きくなって、8月に退院し、実家に戻ったら、今度は父が何度も救急車にお世話になったのです。そして暮れにリハビリ入院したら、一週間で肺炎になり、亡くなってしまいました。

 自分も退院してから、いろいろ今までと全く違う病気が見つかりました。今までのようなすべてを把握して治療をしてくれた主治医がいなくなり、今回の担当してくれた主治医は、痛み別でそれぞれの科で治療を受けること、私は血液結果だけを見て、難病の治療をします。だから不必要と思われる薬はなしにしますと言って、ほとんどの薬を切り、痛いならその専門に自分で申し込んで受診しなさい。

 薬を切られ痛みが強くなり、今回の主治医に言われた通り、痛み別で受診したところ、なぜ薬を切るのか、悪化させてどうするのかということで、また同じ薬を処方されました。

 ということで 去年の今ごろからは、私の周囲は命との闘いが主になっています。

でも 痛みとばかり付き合っているとイライラするので、家にある布を使って、孫の服を作ったり、家からほとんど出ないのにマスクを作ったり、最近はリュックサックの子ども用大人用を作って、痛みと喧嘩しながら生きています。

ひな祭り 離婚前はタケノコを掘ってタケノコの炊き込みを作ったり、お寿司でひな人形を作ったりしたことも思い出しました。

イライラすると料理の品数が増える。しかも創作料理が 

嫌なことを考えるより おいしいこと楽しいこと考える方が好き

 

しかし。今年のひな祭りは食欲がない母に何を作ってあげようかな?

これは悩みます