これからはまた貝にならないとです

私は血液検査をしても、異常が出ない体質です。

胃潰瘍ができて、痛みが出ても血液検査では痛みの指標はなし。

味覚がまるでなくなり、そばを食べてもまるで鉄を食べていると訴え、それならトイカメラを 無麻酔で行ったところ、あちこちに穴が開いていて先生がびっくり。

十二指腸潰瘍のときは すぐに内視鏡をして、本物。

アレルギー検査で猫はなしといわれたのに、翌週友達の家の猫が膝に乗ったとたん腫れあがり、呼吸ができなくなって救急車で病院に。友達が証人でした。

それなのに内科の主治医が変わり、何でもないと言われたので、証拠写真を持って受診したのに、メモの見ない。写真も全く見ようとしなかった。

長年診てくれた先生が、いなくなり、何人もの先生に変わりましたが、誰も信じてくれません。

 挙句の果て。血圧なんかは町医者に診てもらえ。血圧の薬でアナフィラキシー起こし、救急車で運ばれたのに。

だから、もうあきらめることにしました。

娘にいたいというと 私はもっと痛いと怒られるので、余計です。

私の人生は痛みで始まり痛みで終わるのかもしれません。

母の最期だけは診て終了したい。それだけが私の維持

 

去年も暮れは大変だった

令和元年の暮はメキシコから娘と孫が来た事で、あれもこれもとたくさん計画して忙しい暮れでした。残念なことは今年と違い雪が全くなかったため雪を見せることができませんでした。今年は豪雪なのにです。

そして昨年はコロナで始まりそのままコロナは年越し、いまだ完全な治療薬がない状態。そんな中自分の入院やら手術。そして父の入院とバタバタが続き、その父もリハビリ目的の入院を暮れにして、正月二日に90才の誕生日をちいさなお祝いをしようねと思っていたら、アッという間に暮れに旅立たれ、いまだにそのバタバタは続いています。

 自分のへそヘルニアも最近はシャワーが当たるだけで飛び跳ねるほどの痛みが出てきているので、手術しなきゃいけない状態になってきたみたいです。左手も親指と人差し指で丸が全くできなくなってきたので、これも手術時期になってきたみたいです。

 でも、全く何もしなくなってきた、母の介護を妹にまた背負わせることになりそうで、心苦しいです。

  全くいつになったら平穏な日々が送れるのかです。

ピザ大好き

昨日妹に 「ピザたまに食べたいね」とラインしたばかりなので、このお題を見て笑ってしまいました。

ピザが大好きで、実家の横浜に千葉から、来たときは近所にあるピザ屋に歩いて取りに行くのが恒例でした。

しかも、何人前?というくらいの量を注文。

そのころはジャガイモ、ホウレンソウでアレルギーを起こしているなんで全く思っていなかったので、何でもokでした。

 

でも医者からジャガイモ、ホウレンソウ他アレルギーが出るものは禁じられると、人間普通は落ち込むのですがは、食べること、作ることが大好きな私は、じゃぁ 自分で食べていいものを入れて作ればいいになり、自家製のピザに挑戦。

 

チーズはたっぷり肉も野菜も ととにかく作る=遊びになってしまうから家族ははあきれるやら、迷惑やらだった思います。 

そのためスパゲティー、餃子の時同様息子が大食漢の友達をつれてきて、楽しみました。

 

今は?高齢の両親で骨と皮なので、作りません。 代わりに近所に住む娘が時々デリバリーしたり、オリジナルを作ってくれるのを楽しんでいます。

 

時々市販のものを両親に出しますが、そのままだと物足りない気がして、チーズはしっかりたっぷり足します。

それが今の私のこだわりのピザなのかもしれません。

食べたくなってきた。

 

そういえばメキシコで食べたピザは大きかったです。チーズもたっぷり

またまた食べたい

今週のお題「いも」といえば?

今週のお題「いも」

私にとって「いも」はまずジャガイモ。

ジャガイモは大好きでした。

食べるたび口の中がびりびりしているのは、当たり前と思って、ずっと食べていたのですが、難病がわかり、入院した時、医者から食べ物のアレルギーはありますか?

と聞かれ

『ありません。』

「蕁麻疹が出やすい。とありましたが?最近は何で?」

イワシの塩焼き』

『アレルギーだとどんなことがですのですか?』

「例えば、口の中がピリピリする。」

『それならジャガイモ、ホウレンソウ。メロン。でもみんな大好きです。口の中が腫れるのは仕方ないと思っていました。』

 ガーンでした。

ジャガイモは子どものころ体が柔らかくて、マットで他の友達が前回り、後ろ回りが二回のところを私は三回回ることから、コロッケというあだ名をつけられました。

コロッケも大好きで、大学の近くの肉屋の揚げたてコロッケを食べながら帰るのが楽しみでした。

 そして、次に出てくるのがサツマイモ。

これは苦手でした。理由は簡単甘いからでした。

ところが自分の難病にはサツマイモがいいと友の会で教えられ、

再びがーーんでした。

シェーグレン症候群も持っているので、唾液が出ないから、いくらいいと言われていても、ほくほくのサツマイモを食べるときは、大量の水が必要になります。

 

 最後に里芋

里芋は冬は毎日のように食べるようにしています。

理由は 簡単乾燥を少しでも緩和させたいからです。

 

ということで、大好きなジャガイモは私には禁。

嫌いなサツマイモは、頑張って食べる。

里芋はお肌のためとなっています。

 

おまけ

山芋は離婚する前は山奥に住んでいたので、よく堀りに行きました。

 

 

 

最近の作品

やたらと服を作っています。

本当は通院して、少しでも痛みを減らしたいのですが、

公共のバス電車を使って、もし私がコロナになったら、高齢の両親は即死につながると考えると、怖くて行けません。

かといって車で行きたいからと思っても、持っていないのでレンタカーを借りるものまた怖い。

することがないので、着なくなった服をリメイク。そして、今回は娘の誕生日に合わせて作りました。あまり布で孫のドレスも作ったところ。

?????孫の服の方がばっちり、でも娘の服は 太っている私が着てもぶかぶか、あまたはちょっときついという感じの出来。むすめに来てもらった結果。

 いろいろと他にも不具合がでて、 直すことになりました。

でも、今回は最初の完成品を乗せることにします。

 今回のブログには老後の楽しみ 一年前の記事を見直して、今の自分の心の変化を書くつもりではいたのですが、それは、心の中を整理してから書くことにします

 

ペアです

 

進行

手術を終えてむすめの家から、実家に戻った。

医者は前と同じように動けと言った。しびれは消えたけれど、術後から食べると下痢。そして咳が止まらなくなった。立っていることも数分。歩くことは100mは無理。

手術をした医者が電車で通院と言ったが、一番近いバス停まで歩くことができないので、行っていない。

 

それに体に出てきた紅斑、そして咳に関して訴えても、自分には関係ないと言われてしまったし、腰の痛みは治らないと断言されているから、痛みと闘いながら一時間で行けるところを3倍の時間かけて行き歩けなくなっても、無視されるとわかっているから怖くて行けない。

 

父のことについて

認知が私がいなかった3か月の間でかなり進行していた。

日課であった掃除もしない。もの探しもしていない。言葉も理解できなくなっていた。

母のことについて

父のことばかり目につくらしいが、父の認知をもう理解してもいいと思う。

味もかなりわからなくなっている、塩分がかなり濃くないと感じないのが、自分の足のむくみとつながることを理解してくれない。

食も細くなってきて、痩せてきた。

 

実家は老々中老の住処になってしまった。

 

 

お父さんにつたえたいこと

一言 でいうなら 私の手術が成功したら、また一緒に暮らそうね。

どんどんお父さんの中からいろんなものが消えてしまっているけれど、

なぜかそんな中でも、私の幼稚園の運動会だけは残ってくれている。

秋の運動会の前日高熱を出し、母がかかりつけの内科に連れて行ってくれ

先生が運動会はダメ 

私が大泣きして

先生がそれでは一つだけ出ていいとしぶしぶ許可

当日みんなが半そでなのに私は冬の制服姿

たった一つ選んだものがかけっこ。

体がふらふら よーいどん 

みんなから遅れてのスタートそれなのに

走り始めたらみんなを抜いてダントツの1位

しっかりお父さんが写真に撮ってくれたね

そのあとは全く記憶にない私、

 

運動が苦手なお父さんの娘なのにね

その出来事がお父さんの頭にはとても深く刻まれているみたい。

お父さんいつまで私のこと覚えていてくれるかな?

4月から入院して会えないけれど、手術して歩けるようになったら

また一緒に住むからね。

そうしたらまたたくさん変わった料理作って、お父さんを喜ばせてあげるね

待っててね